2024/12/30

朝ごはん:ネギトロ丼

夜ごはん:カレー

 

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今年始めたことはいくつかあるが、そのほとんどが「自分がやりたくないことをいったんやってみて、やはりやらなくてよかったなと再確認する」というかたちになった。世の中でよいとされている価値観のものが、自分にとってはまったくよくないことがある。それは試してみなければ分からないので、身銭を切って一回飛び込んでみるしかないのだ。

 

最たるものが「自転車を買った」というもので、おれは今年の秋ごろに自転車を買って練習し(当初は乗れなかった)、すこし遠くの店にも行けるようになったりしたのであるが、結果、現時点で抱いた感想としては「別にこんなことはしなくてもいいな」ということだった。

 

なるべくアクティブに外出し、色々なところに行ってみることで生まれる何かがある。という思想自体は理解できるし、家から出ずとも無限にコンテンツに触れられる時代に、現物に触れる経験主義が奨励されるのもカウンターとして理解ができる。元はと言えばおれもそれら思想に感化されて自転車を買ったのである。これで少しでも外出する機会を得られればと思ったのだ。

おかげで今年はいくぶん前年より外出する機会に恵まれたが、わかったのは「向いていない」ということだけだった。それを再確認できただけでも実りがあったといえるだろう。とにかく、おれは外にほおリ出されると極度の緊張状態に陥ってしまい、感受性がいっきに0にまで落ち込んでしまう。つまり、外に出たら最後、なにも情報を受け取れない体になってしまうのだ。ただの鉄球が転がっているようなものだと思ってください。防御機構が過剰に働いて身を守ることだけに全神経が注がれてしまい、硬い弾が極度に疲労しながら町中をピンボールのように跳ねまわるだけになってしまう。

この、「鉄球が街を転がっている」と言う状態が「豊かである」と表現されるのであれば、お手上げです。おれはこの価値観を手放そうと思う。この先には何もない。どん詰まりである。いたずらに心身が削られていくだけで、この価値観に迎合するのはよくないことがわかった。自分が何をやりたいかをもう少し冷静に考える必要がある。自転車を買ってもたらされる、外への接続が容易になるという「いいこと」は、おれにとってのいいことではなく、世界にとってのいいことだった。

 

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年末にカレーを仕込むと、せっかくの大晦日やお正月にカレーを消費しなければならず、もどかしいということが分かった。