2024/02/08 汁物進化

散髪のために外に出たら、竈門禰豆子みたいな犬が飼い主に連れられて歩いていた。つまり棒状の口枷の様なものを咥えながら犬が歩いていたのだが、そこらへんで拾った丁度良い棒を咥えているというよりかは、口枷として用意されている”そういう既製品”を飼い主によって装着させられていた(ように見えた)。それこそ禰豆子のように、紐か鎖でもって棒を口にガッチリと固定されていた。

ビジュアルとしては巻物を咥えているような感じだ。

 

「犬 口枷」で調べてみても、いわゆる犬用マズルと言われるようなワイヤーで鼻先を覆うものしかヒットせず、巻物のような口枷は見つからなかった。あれはなんだったんだろう。変化修行中の忍者だったのか。

 

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豚汁に対する恐れが消えた。

 

数か月前までは「肉を味噌汁に入れるなんて、そんなこと(もったいなくて)できない」と思っていたのだが、腐りかけの肉をやむなく豚汁にして以来、肉を汁物に入れることに対しての恐怖がまったく無くなった。

 

だって肉は、肉として使えば1品料理のおかずになる。ご飯+おかず+汁物がおれの基本の食事のセットだ。肉が汁物の方に入ってしまったら、その分おかずを担う食材が無くなってしまう。豆腐は一品料理にはなり得ないが、豆腐で汁物は作れる。汁物は正直あたたかい液体でありさえすれば中に何が入っていようが構わないのだ。そういう意味で肉を汁物に使うのはかなりの勇気がいる。どう考えても「行き過ぎ」だから。そう思っていた。ただ、汁の方に肉が入ると「ごはん+おかず+汁物」の構図を維持しなくても良いことに気が付く。「ごはん+具だくさんな汁物」で満足できる。事足りるのだ。それに気づいてから、全ての肉を味噌汁に入れている。料理があまり得意ではないおれにとっては、焼くよりも煮る方が大抵うまくできる。そしてこれは完全に土井善晴先生の提唱する「一汁一菜」だ。体が自動的に一汁一菜を求め、自動的にその形に着地した。

 

蟹化、カーシニゼーションのように、全ての自炊は一汁一菜へ向かうのではないか?

ドーイヨシゼーションと名付ける。