2024/02/19 どんこつ

骨折してからおよそ1週間が経ち、家の中では特に不自由なく歩くことができるようになってきたのでリハビリてがら少し外出することにした。本当はまだ安静にしてた方が良いと思うのだが、外の空気が吸いたくて仕方がなかったので敢行。

 

1週間寝ていただけなのに外は既に春を通り越して夏の陽気になっており、温かいというよりも暑かった。とりあえず近所をうろちょろ散歩してみる。

 

 

近所にステーキのどんが出来ていた。店名のフォントがみさえのげんこつみたいだなと思う。おれが止まっている間にも世界にはステーキのどんが増え続けていた。

 

10分ほど歩いた段階では足に少し違和感がある程度で、「なんだ、これはもう完全に治ったかもしれない」と己の治癒力に驚く。もう少し先まで行けるかもしれない、いつも行く回転寿司屋(はま寿司)の方まで行ってみようか、など考える余裕まで出てきた、しかしだんだんと患部が地面からの抵抗を感じ始める。嫌な感じだ。例えるなら地面がどんどん固くなっていくような感じ。その抵抗はだんだんと閾値を超え、次第に針山を歩いているような感覚へと変わる。痛い。足が焼けるように痛い。まだ外出は早かった。ここらでリハビリは終了しよう。そそくさと家に帰り足をベッドに投げ出す。途端に痛みが引いていく。危なかった。1週間分の超回復を無に帰さすところだった。

 

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「三体」を読んでいたら、「近い将来地球は滅びますので、地球が確かにあったという情報を残したいと思います。本日からそれぞれ皆さんの日常を日記としてこのサイトに書き残していってください。どれだけ些細なことでも構いません。凡庸であればあるほど地球文化としての強度が高いので良いです。それが未来、ひいては他文明へのよすがになります(意訳)」といった文があり今の自分と重なる。文化が丸ごと無くなる危機的局面においては凡庸さが一番の保護の対象になる。そういう意味で、凡庸な情報を蓄積していくことに価値が見いだされる日は絶対に来る筈で、凡人の特に何もない日でもその凡さ、何もなさを積んで記録することは尊いことなのかもしれない。

今日も特に何も起こらなかった。例年に比べてやや暑い日で、数分外を歩いた後くたびれて帰ってきただけだ。だが、これを記録する。記録することで、凡庸が連続性を帯びる。この凡庸が連続しているという状態は確変に近い。凡庸か非・凡庸かは相対的なものだ。記録することで初めて「凡庸に非ず」を受け入れる態勢が取れる。

今日で日記は通算連続150日目である。凡庸が1本の直線を為している。