2024/06/11

いまだに早口でよくわからないことをまくしたてることをカッコイイことだと思っている。どうやらそうではないらしいのに。

 

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今日は少し気持ちがBADに入ってしまっていたので、テンションが下に降り切れ過ぎないように操縦桿を握り続けることに終始していた。気持ちが落ちこんでいるとき、正常ではない思考プロセスの元「もうどうなってもいいや!!」と墜落を選ぶことだけがいちばんマズいので....とにかく低空飛行でエンジンをふかし続けることが肝要だ、それは見苦しい地面すれすれのウスノロなフライトかもしれないが飛んでいる限りはいずれ風を掴めるはずなので...

それはそれとして、今年一テンションが低い。なんだか気分が盛り上がらない。チクチクとした小ストレスがここ最近ずっとおれをむしばんでいる。大ストレスから逃げるのは大得意なのだが、花粉サイズの小さいストレスを振り切ることができない、これはたぶん、生きるのに必要な最低限度のストレスのようなもので、ここから先をなくすのは不可能な気がしている。例えば、道を歩くと地面がおれの足を反対方向に押してくるわけだが、こういうストレスのことを言っている。このストレスをなくすことはできない。流石にそのまま「歩くのが嫌だ」という直喩ではないが、とにかくこれ以上切り分けられない最小単位のストレスがこの世には多すぎて、それをなかったことにすることはできない。確かにあるのだ。そしてこちら側のコンディションが悪いと、その小ストレスがオキアミの群れの如くおれに突っ込んできて、おれはその粒だった小ストレスを全段喰らうことになる。そしてなっている。

 

恐らく、環境への期待値の異常な高さがこの苦しさを生み出している、つまりは、これだけやっているのだから、もうすこし環境側から楽しくなってきてもいいじゃんねという、甘えた願いや要請のようなものがおれの中にあって、それがいつまでも到来しないことに対する絶望というか。自分で自分の機嫌を取って、自分を自分の手で楽しくさせることは上手にできるが、もういい加減それに飽きて(疲れて)来た感じというか、そろそろ環境の方からたのしさを、少しぐらい匂わせてきてもいいじゃねえかという。幸せは歩いてこないというが、たまには歩いてきてもいいだろう、本当に?全く歩いてこないんですか、そんなのってないよ。この世の中って自分から移動していかないとびっしり端から端までこんなにつまらないんですか、うそでしょうという浅学ゆえの絶望というか、つまり負のループで、しんどさゆえに自分から世界を楽しむことを放棄し始めているので、どんどん比例してぜんぶがつまらなくなっている最中で、これは自覚できている内になんとかしなければならない。

 

過去のおれはたっぷり寝ることでこの影を振り切っていた、まずはたっぷり寝るところからか...