2024/05/03 トリプルバトル

ようやく気付いたが、おれ、3人以上での会話がかなり苦手かもしれない、本当に、縮こまってしまう。ポテンシャルがまったく発揮できない。集団での生活に適応できなかった人間はなんとか表面上は人間をやれているようにふるまうが、こういうところでボロが出てくる。なんてったって、可能な限り外界との接触を断ち最低限の会話だけで日々をやりくりしようとする場合基本的に会話は1対1で行われるのだ。複数人で楽しく場を回す会話というのは能動的にコミュニケーションを掴みに行った結果でしか訪れず、それを避けまくった結果こうなるのは当然であって...、いや、そもそも、定型ではないフォーマットというだけで苦手意識がある。シングルバトルは大好きだが、ダブルバトルは意味が分からない、最近ルールを覚えた麻雀も、3人でやるルールがあり、そっちの方が簡単だよと言われても「???」「理解不能」である。4人でやりてえよ。4人のやつ覚えたから。とにかく主線から外れたフォーマットに対して強い苦手意識がある、スマブラでタイマー戦にするんじゃない。一旦覚えた戦術が通用しないというのが嫌なのか?それともいわゆるこだわりの気質がここでも表れているのか。とにかく2人での会話と3人での会話というのは、ストック戦とタイマー戦ぐらいちがう。そして3人の方はむずすぎる。からっきしだ。三体問題状態。

とにかく、自分がなんでもない状態に一瞬置かれる、というのに強い不安があるのかもしれない。1対1の会話の場合、まず話題があり、その話題に対し話し手になるか、聞き手になるかのどちらかしかない。ただ3人以上になった場合、どちらでもない場合が発生する。「話し手でも聞き手でもない状態」が断続的に発生する。つまり話題の外に置かれる瞬間があるということだ。そしてここで努力が効用を発揮する。(おれはここでがんばれない)話題の外に置かれた瞬間、それに気づいた瞬間に走り出せばいいのだ。興味というエンジンをブン回して、聞き手のエリアまで、その白線まで走り込めばいい。何も分からなくても、それが自分に対しての問いかけではなかったとしても、聞き手になるのだ。これはこちら側の努力次第でなんとかなる。もう一つ選択肢があって、それは「なんでもない状態を肯定する」ということだ。会話に全く参加していない埒外のぼうっきれになる瞬間は確かにあるが、べつにそれでいい、という考え方だ。ただそこにいて、蚊帳の外になっていて、むなしいが、という状態を、眺める。そういうアクティビティだととらえる。絡まり合って天へと伸びる2対の朝顔を見る。むなしさを抱く。3人以上の会話は、おれにSSRな感情を与えてくれる贈り物だととらえるしかない。極限まで効率化された生活を送っていると、むなしさを抱ける隙間が無い。

書きながら思ったが、もう1つ選択肢があったな、「一生自分が話し手になって、ボールを渡さない」という方法もある。というか高校生まで集団生活を余儀なくされていた頃は、この方法に終始してた気がするな。とにかく稚拙な方法でもなんでもかまわないからハンドルを握り続け、注目を浴び続ける(悪目立ちと同義)。そうすれば絶対に話題の外に蹴り出されることはない。悪口の対象になるということは、おれについて話しているということだ。それはコミュニケーションだ。

それから脱せただけでも良いと思おうか。