2024/02/24 死後よりヤマネになる

ヤゴの屋号、ヤ号

 

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「この話を聞いたら10秒以内に他の人に伝えないと即死する」といった怪談があったとして、その伝承の難易度から逆に超超超レアな小噺として扱われ「知りに行く人」が殺到しそう。

それを聞いて死ねるなら本望という感じ。

 

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ヤマネのフェルト人形を買った。植木鉢を模したフワフワのベッドもついてきた。可愛い。

今かなり自分の中でヤマネがきてます。ヤマネというか、ニホンヤマネ。

嗜好が、ハムスター→モグラ→ニホンヤマネあたりの小動物をぐるぐるとループしている。今はニホンヤマネの期。逆に犬や猫には通年あまり興味がない。

ハンドメイドなのでめちゃくちゃおヒゲのところに接着剤の跡がついていて、ちょっと、嫌だ。こういうのを暖かみだとか手触り感だとか”良い隙”だとかという言葉で濁したくはなくて、普通に、ちょっと、嫌だ。でも可愛くて好き。ちょっと嫌だけど好き、という感情は全然持てる。2つの相反する感情が同時にあるということは普通に、ある。

 

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遺影は、自分の顔じゃなければいけないのだろうか。遺影と言えば故人を偲ぶのに飾られる肖像画で、偲ばれるために何度も目を向けられるという性質がある。代々飾るという場合もあり得るだろう、つまりそれは恒久的にインテリアに組み込まれるということで、もし自分が今即死死んだ(そくし・しんだ)場合、今のおれの顔面はインテリアに耐えうるだろうか、と思う。そう考えると全く自信がない。そういう意味で、おれの遺影はなんか別のものにしてほしいという願望がある。可能な限り可愛いものが良い。

顔て。顔って、そんなに象徴でしょうかと思う。顔って案外忘れるし、ピンとこない。遺影を見てピンときたことがない。「この人、こんなんだったっけ」と思う。ピンとこない顔面よりかは、その当人が選んだ「これを見て我を思え!!!」の接写の方が偲びの強度は高くなるのではと思う。かなり精神的な話をしています。

とりあえず今はヤマネの顔面を遺影にしておきたい。仮抑えということで。