2024/04/16 理解不能①

世に蔓延する、理解不能について...

 

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何かを成し遂げた時や、ひとかどの人間になったとき...、ときに人は「自分へのご褒美」として、高額なブランド品を買ったり美味しいものを食べたりするかと思うが、「高い金を使うこと」をご褒美と捉えられる感性、これがおれにはわからない。理解不能。おれは巨額の金が自分の懐から出ていくことを、それが自発的か他発的かに関わらず「ご褒美」とどうしても捉えられない。それがどれだけ欲しいものだとしても、自分で買うことを「褒美」としては解釈できない。脱走。と思う。大脱走。万札、懐から大脱走の巻。スマブラXの1人用アドベンチャーモード「亜空の使者」において、おれが一番好きなムービーは「大突入」だが、大突入ってなんだ。そんな日本語はないだろ。再突入なら分かる。大突入はない。とにかく、逆だ。自分の中で「金を使うこと=煩雑な手続きをスキップすること」だと思っているので、自分に余裕がないければないほど、つまり、とうてい自らに褒美を与えられるような状況ではないほど、金というのは無情にも懐から去っていくと思っているので。自分に自信がしっかり肉付き、自分に褒美でも授けてやりたいと思うとき、金を使いたいという発想に至らない。余裕があるから。「金を使わない」という余裕があるから。スキップをするものが無い。自分にとっては、金を一切使わないことが最大のご褒美だ。金が己の監獄から逃げていかないよう監守しているとき、最も幸せと安寧を感じる。

 

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あともう一つ書きたい理解不能があったのだが、完全に忘れてしまった。思い出したら書く。

 

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昨日の予定通り「Outer wilds」をプレイしていた。本当になにも情報がないままゲームプレイが始まり、完全に手探りで世界を広げていく感じ、これ大好物です。例えるのであれば、1寸先も見えない真っ暗闇の虚無空間の中でひたすら両手をぶんぶん振り回し、腕をぶつけながら稼働できる範囲を確かめていく感じ。

 

あらゆる情報の開示が少なすぎる、という点では不親切さを感じるが、ゲームを前に進める原動力となる最低限の情報だけは辛うじてキャッチできる。そのあまりの微弱さがドリブンとなりこちらの知的好奇心をくすぐってくる。大いなる謎が提示されてそれに立ち向かっていく一大スペクタクルも好物だが、ただ悠然と、ただし同時に弱弱しくも在る「この世界を理解しろ」というだけのメッセージ、それを解釈していくゲームプレイ、これがたまらない。つまるところそれが人生であり、小さな人生を追体験することは無上の喜びである。

 

宇宙船に自動操縦機能があったり、ミニマップの仕様が分かりやすいなど、細かい所のストレスが少ないのも良い。まさに自分が記憶をなくした状態でとある宇宙飛行士に憑依しているようで「長年の訓練によってあらゆる機器の操作方法は会得しているがこの世界については何もわからない、ひと」というロールプレイをストレスなく楽しむことができる。

 

あとこれは個人的にだが、夢でよく見る「ジャンプしたら無限に空中に飛び上がってしまい、地面に降りられない」という恐怖体験がそこかしこで味わえるのが、自分の中の恐怖の源をくすぐられているようで逆に心地よい。おれの中では「落ちること」よりも「無限に飛び上がってしまうこと」の方が怖いのだ。つまりそれは空に落ちているということなのだが....

 

まだ序盤も序盤、1ループ目が終わったあたりなので、腰を据えてクリアまで走り抜けたい。