2024/05/31

気が付けばもう2週間以上他人と発声を伴う会話をしていない。以前までは他人と会話しない期間が長く続くと「ヤバイ!たまにはイヤでも予想外の刺激を受けにいかないと、くさる!!」という欲求から無理矢理にでも世間話をやりにいっていたのだが、最近はもう他人が自分の全く予想外のことをするということもなくなり、いい意味でも悪い意味でも会話から負荷や影響、エネルギーを受け取ることが出来なくなってしまった。おれから見える範囲の会話世界全体がネタバレされきってしまったというか、NPCのすべての会話パターンを見切ってしまったかのような荒涼な絶望感が広がっている感じがしていて、これはおれ側の「傾聴力/コミュニケーション力」がひとえに壊滅的だからこんな生意気なことを言い始めているわけですが、つまり昔はもっと、人の言うことに対して一喜一憂できるだけの隙間があった気がしていて、受け取れる力があるからこそ、話したいという欲求が生まれるのであって。昔はもっと自分から傷つきにいけていた。

 

人と話すのはたのしいし、好きだが、同じくらいムカつくし、不快だし、なんでそうなっちゃうかなあ、ということを感じているときがあり、(そして同じことを相手にも思わせているであろうし)その不快さ(加害性)から逃げきることは簡単にできるが(話さなければいいだけなので)その不快さが大事というか、その剥き出しの「他人の意見(まったくコントロール不能で、意味が分からないもの)」をぶつけられるという刺激こそが会話なのであって、ある程度不快でないと会話でもないような気もしている。つまりおれたちの会話って石ころで雪合戦してるようなもので、基本的に痛い。ただそれで削れていって光り出すものがあるし研磨されていくものがあるので、たまにはイヤでも話しをやりにいかなければならんと思っていたわけです。

翻って今は、雪合戦期が終わり.....言うなれば、ドッヂボール期にゲームが移行している、つまり、相手の投げた球を避けて、より上手い弾を投げ返すというシステムになってしまった。なんでなってしまったかと言えばそれは、もうくたびれている場合ではなくなってしまったという訳で、昔は忌憚なき意見や思想をぶつけ合って消耗し続けても体力が持っていたが、もう、今はもたない、だから相手の投げてくる球をのらりくらりと躱すことに集中することに終始し、つまり「避けられるか、避けられないか」の粒度でしか話を見ていないので大別して退屈である。どんな大きさの球だろうがどんな形の球だろうがこちらの反応は避けようするだけなので。

そうなると、会話がつまんなく感じてしまうのは当然だ。そして100悪いのはおれだ、だから、雪合戦期に戻していきたいんですわ、スタンスをね...